2007年02月23日

Yoko's History

 UPS Academyの設立者であり芸術監督の奈良橋陽子

 その活動は多岐にわたり、作詞家、演出家、東京学生英語劇連盟MP(Model Production)ゼネラルディレクター、英会話学校MLS(MidelLanguage Studio)会長。そして、映画・舞台等の企画制作およびキャスティングを行うUPS(United Performers,Studio)代表と7役を担っている。演劇、役者、映画に対する情熱とエネルギーの軌跡を、これまでの奈良橋陽子の人生とともにご紹介します。

*菊池凛子さんと二階堂智さんについても書き加えました(3/1)


<< ゆるぎない愛のパワー >>
「本当に幸せな家庭に育ちました。」
 1947年千葉県市川市生まれ。外交官であった父のもと、母、兄姉を持つ次女として愛情に包まれた幸せな家庭に育つ。子供にも対等に意見をもとめ、それを尊重し一個人の人格として認める父とは、特に絆が深かった。その父の転任駐在により、5歳から10年間を過ごしたカナダでは、家族中心の自由でのびのびした生活を満喫。無償の愛情に包まれ育った幼少期が奈良橋陽子の人生の基盤となっている。
 「何がすごいって、愛のパワーなの。私は本当に恐れを知らない人だと思う。自分の情熱や夢の実現を信じちゃうの。その信じる心が力を与えてくれるんです。」どんな困難に直面しても崩れない精神の強さは、存在へのゆるぎない自信に支えられる。自分は絶対的に愛されている、世の中に存在していいんだという確信がパワーを生んでいる。
 「私は十分すぎるくらい愛を与えてもらっていたから幸せです。だからこそ、何倍も人に愛を返したいと思っています。逆に夢の実現に不信感をもっている人には、“大丈夫だー!”ってもっと勇気を与えたい。もちろん、いろんな困難に直面することもあったけれど、私にとってはたいしたことじゃないんです。人生、やりぬくことのほうが大切だから。」そして、この奈良橋陽子の愛の力は演劇、映画へそそがれていく。


<< 挫折から学んだ“演出”の魅力 >>
 そして、十六歳で帰国。聖心インターナショナルスクールを経て、ICU(国際基督教大学)へ進学。小さい頃からの夢である女優になるため、ICUに入学後、すぐに演劇をはじめるが、まず言葉の壁にぶつかった。劇団をいろいろ回ったが、信じられるところがなかった。日本の言葉と文化を扱いきれない不器用な自分に落ち込み,葛藤する日々がつづく。そんな時、フルブライト奨学生として来日していたアメリカ人演出家・リチャード氏と出会い、これが東京学生英語劇連盟MP参画へのきっかけとなる。1967年、第一回MP公演で演出助手として初めて舞台演出を手がけ、同時に、演劇の勉強の場を海外に移す決意をする。
 それから、自分でお金をため、奨学金もとって、リチャード氏が推薦してくれたニューヨークの演劇専門学校ネイバーフッド・プレイハウス(スティーブ・マックイーンやダイアン・キートンを輩出した有名校)へ。大学の卒業式を待たずに渡米。女優への夢を実現するため、ようやく本格的に行動に移せたと思った。
 しかし「飛行機に乗った時から、思いもよらない邪魔者が現れたの。」それは恋だった。当時つき合っていた彼への強い気持ちに気づいてしまった。愛は愛、演技の勉強が大事だと割り切っていたはずが、彼の存在がどれほど大切だったかひしひしと感じ始めていた。
 演劇学校の訓練も大変厳しいものだった。ダンス、バレエ、スピーチをはじめ、特に演劇の基本を身につけるエクササイズが辛かった。うわべだけでなく、相手の本心を読み取り、それを受けて自分の本心、衝動を一瞬一瞬相手に表現し、返していく訓練。「ストレートに本音をぶつけてくるアメリカ人に対し、私にはそれを跳ね返すエネルギーや自信がなく、傷付いた心をいったん飲み込んでから返していた。」
 役者は自分という楽器を磨いていくので、自分の感情にどんどん敏感になっていく。次第に奈良橋の心も敏感になり、日本で待っている彼への想いが募っていった。心がどんどん弱っていくような、女優への夢が窒息していくような危機と恐怖、自分の理想像を見失い、人生がゼロになったような喪失感に襲われた。
 演劇学校を終え、すぐに彼と結婚。カナダで結婚生活を送り、しだいに心が癒されていった。しかし、癒されるほどに、大好きな演劇への思いを断つことができなくなった。
 そんな折、思わぬところから再挑戦のチャンスが訪れる。
1972年、長男出産のため帰国していた際、米国留学へ推薦してくれた演出家より英語劇の演出依頼がある。役者として成し遂げられなかったエネルギーを爆発させるかのように、無我夢中で演出に取り組んだ。その後、本格的に東京学生英語劇連盟MPを引き継ぐことになる。「芝居が終わった時初めて、私が本当にやりたいことは“演出”だとはっきりとわかったの。演劇を通じて、もっと深い部分から、日本のよさを外国に紹介したいと思うようになりました。」


<< 人間の可能性を引き出したい >>
 女優への夢が破れた時、自分の弱さと直面した。しかしそのことで、自分は愛が必要な一人の女であることが分かり、自分を受け入れることができた。その経験が奈良橋の独自の演出につながっている。「人間は愛したいし、愛されたい、愛が必要なんだということを実感しなければ、人間を本当に描くことはできないと思います。俳優が直面する辛さも知っている私だからこそできる演出のやり方があると思った。」そしてこれ以降、数々の舞台演出を手がけはじめる。
 東京学生英語劇連盟MPでは英語がはなせなかった大学生が、演劇を通して学ぶことで、英語力がみるみる上達。演じることで、心と体で言葉をものにすることができるのだ。1974年、この独自のメソッドを用いた子供向け英会話教室MLSを発足。その翌年、長女を出産した後、夫の仕事の関係から英語での作詞を手掛けるようになり、ゴダイゴのために作詞した数々の作品はヒットチャートに躍り出る。エネルギッシュなまでに奈良橋を突き動かすもの。それは、人間の無限の可能性を最大限に引き出したいという、人間への絶対的信頼感と愛がパワーの源となって根底を流れているからである。
 1979年「いい役者を演出したい。いい役者を育てたい。」という想いからUPSを設立。映画、演劇の企画・演出・制作の活動拠点であるとともに、俳優養成所として数々の有能な俳優を世に送り出してきた。
 そして、1991年、演出した舞台「THE WINDS OF GOD」は、ロサンゼルス、ニューヨーク公演で絶賛される。その後、ニューヨーク国連本部での公演依頼を受け、国連芸術賞を受賞。監督をした映画「WINDS OF GOD」では、ゆうばり国際映画祭審査員特別賞、日本映画批評家大賞優秀新人監督賞ほか、数々の賞を受賞することとなる。

<< 無名の日本人俳優が次々と世界へ! >>
 1998年、国際的に活躍できる俳優を育成するため、UPSアカデミー設立。多彩なカリキュラムの他、アメリカでもトップクラスの講師陣と提携し、数々の俳優を送り出してきた。第一期生からはオダギリジョーさんも巣立っている。
 その頃から「次は幕末を描きたい。日本の英雄を描きたい」と思い始め、その舞台実現のため、俳優たちに徹底的に立ち回りの訓練をする。それが、「ラスト・サムライ」(03')につながった。
 1986年にスティーブン・スピルバーグ監督作品「太陽の帝国」(87')のキャスティングを手がけて以来、「ヒマラヤ杉に降る雪」(99')などもキャスティング協力を続けていたが、これまでの経験を認められ、ワーナー・ブラザースからキャスティング依頼の連絡が入る。それが「ラスト・サムライ」の企画だった。まさに、奈良橋が思い描いていた世界、日本のサムライ美学が西洋でまっとうに紹介されていた。「台本を読んで涙がでました。これは日本人も共感する映画だと確信しました。」その半年後、監督から、主演をトム・クルーズが引き受けてくれるという連絡が入り、奈良橋は日本・アジア圏キャスティングディレクター兼アソシエイト・プロデューサーとして参加。以来、キャスティングディレクターとして「SAYURI」など大作を次々と手がけ、日本の優秀な俳優を世界に送り出すことができた。
 そして、今世界が注目するアレハンドロ・ゴンザレス・イニャリトゥ監督の超話題作ブラッド・ピット主演「BABEL」(カンヌ国際映画祭最優秀監督賞受賞)では、役所広司はじめ多くの日本人俳優をキャスティング。そのなかでも、体当たりで孤独な少女を演じた菊地凛子は、名だたる実力派俳優が名演をみせるなか、存在感ある演技でアカデミー賞助演女優賞にノミネートされ、これからますます期待される俳優の一人となった。
さらに、UPS Academy講師でもある二階堂智も、菊池凛子演じるチエコが初めて心をひらくやさしい刑事役として印象深い演技をみせるなど、UPSで築いてきた演技手法が最大限に発揮されることとなった。「無名の日本人俳優たちがみごとに『BSBEL』のオーディションに受かっていった。私の信じてきたやり方で訓練を積めば、日本人も世界でちゃんと評価される。改めて自信がつきました。」


<< 情熱がなければつくってはいけない >>
 「よく、つくり手は世界に目を向けろ!っていうけど、私はもっと日本人であること目指したほうがいいと思うの。これは大事なことだと思うんだけれど、黒沢明監督は世界を目指してつくっていないのよ。自分なりのテーマや思いを忠実に、自分の心にこれだ!と響いたものをつくっていただけなの。だから、作る人は、自分のなかに作る必然性がなければつくってはいけないと思う。カッコいいからとか、みんなやっているからとか、そうじゃなくて、心の中に、どしても表現したい、人に伝えたいという情熱がないと絶対につくてはいけないの。
 いつも若い人に言っているんだけど、単なるわがままで勝手に書いているものは暴力だって。時間とお金を費やしてわざわざ見にきている観客に、伝わるか、伝わらないか、そんなことどうでもいいようなものを突きつけるなんて暴力ですよ。最近はそういったものが多過ぎる。アクターズ・スタジオのモットーに“表現者として社会に貢献する責任”というのがあるのね。もちろん表現の自由は絶対的にある。でもだからこそ責任もあるんです。特につくり手は表現者としての責任を認識すべきです。」
 本当にいい演技、リアリティのある演技を追求するために、東京学生英語劇連盟MPやUPSといった訓練の場をつくり、独自の演出で俳優の可能性を引き出すことに力を注いだ。そして、海外と日本のキャスティングおよび制作の橋渡しを担い、日本人俳優の海外での活躍の門戸を大きく開いてきた奈良橋は、さらに、俳優たちが平等にチャンスと出会えるよう、オーディションシステムを日本に定着させたいと考えている。「日本はコネとか、大きなところに所属していないとダメだとか、不公平です。そんな力関係だけで一生懸命やっている人や本当に力のある人が日の目を見ないっていうのがイヤなの。」表現者としての責任と情熱、心の声が、奈良橋をさらなる目的へむけて突き動かしている。


<< 「あなたは本当に何をしたいの?」 >>
 俳優のモラルは“精一杯生きること”。それが演技に“真実”をもたらす。一瞬一瞬日常の中で見逃してしまうような感覚を、ひとつひとつ捉え、抱え、生きること。芝居をする時、役が何を一番求めているか、裏の裏の“本当”を探る。「俳優は“からだ”という楽器をとことん磨き、研ぎすませておくことが絶対に必要なこと。いざステージに立つ、フィルムが回るとなると、相手がすべて。全身で相手を“聞く”そして行動する。これが俳優のアート、技術です。」五感を研ぎ澄まし、存在すべてで相手を“聞く”。自分の楽器を響かせ、そして行動する。「人生も“これだ!”という目的を見つけたら、それを信じること。どうせダメだなんて思ったら動けない。絶対!と思ったら動くでしょう。それが俳優の仕事の仕方にも通じる。目的を見つけたら、どうやって行動するか。実際の行動ラインを考え、そして行動する。」
 現代日本の精神的ぜい弱さ、特に若い人の精神的な弱さも“演じること”で立ち向かっていけるのではないかと考えている。「日本人はもともと対立に弱く、はっきり意見を言わない。面と向かって戦えないぶん、インターネットやケータイの世界向かってしまっていて、ちょっとしたストレスに対して弱くなっている。だからいま、演技することはすごくいいことです。実際、演じることですごく素敵な人に変わっていますよ。演じることは、立ち向かう、表現する、人前で弱みもさらけだすことでしょ。みんな完璧じゃないし、弱いところももっている、それでもいいんだって、全身で感じることができれば、人は変われるんです。大事だと思うのは、どこか自信がない自分がいるということをどれだけ早く受け止められるか。まず弱い自分がいるということを自覚することです。
 桃井かおりさんがいいことを言っていた、『ピンチがチャンス』って。私もいろいろ大変なときもありましたが、どん底まで行った時に、まるで奇跡みたいにまた一つ学ぶんです。だから絶対にめげないの。」自他ともに対するゆるぎない愛、そして演じることで身につけた強靭な精神、“信じ”、そして“行動すること”で、奈良橋はこれまでの道を切り開いてきた。
 「自分の心の声を聞いてほしい。自分の心に耳を傾けて、『本当に何をしたいの?』って」人として、表現者として、それがすべての始まりなのだ。


*オーディション・キャスティング・演技指導のUPS Academy



posted by Yoko Narahashi at 12:52| about yoko | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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