2009年10月02日

Vietnam HANOI, HALONG, HOCHIMIN (Saigon)

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<「スター発見!」の著者ジェーン・ジェンキンス氏と二人旅でした>


ベトナムの首都ハノイと、ハロン湾、ホーチミン(サイゴン)に行ってきました。ハノイとホーチミンで一番感覚に訴えてきたのは、交通の混雑さでした。
道を渡るのがとにかく死に物狂いなのです。
ガイドが言うには、道を渡るためには、3つの拘束があると。――

1)強くなければ前に進めない。
2)勇敢でなければならない。
3)怖かったら、道を渡るな。

それでも皆巧みに車とバイクを操り、互いにぶつからずに運転しているのにはびっくりしました。

サバイバルの本能が強くなければ、生き抜いてこられなかったこの国の人々。
色々な国に侵略され、その影響は建物や食べ物の習慣等だけではなく、人々の人格にも深く影響していると感じました。
日本は侵略されたことがなく、また国を閉鎖(鎖国)した時期もあったため、国民性として遠慮や気遣いは当たり前で、美徳としてそれがあると思います。押しが弱い分、品の良さがあり、より繊細な感覚の文化であると大変強く思いました。
また共産党の影響で全てがホーチミンを讃えていました。映画を作るのにも「ホーチミンのため」ということが大事になるわけです。また美術館に行っても、ホーチミンを描いた絵がほとんどでした。ただ、美術館も手入れが悪く、こういう状態は(交通面も含め)だれがどのようにして改善していくのかなと思いました。建築中の建物が途中で放ってある所も結構沢山見かけました。全てはやはりお金が足りないため、こうして止まっているのです。

もと植民地だったという雰囲気が目立ち、建物や食べ物などにフランスの影響が強く感じられました。そしてベトナム語はローマ字で書いてあります。 漢字で書かれているのは古くからある所だけでした。イギリスとフランスは植民地を作りましたが、フランスは教育制度というものを植え付けなかったので、教育を紹介した植民地との違いを見ると、教育の重要性が強く感じられます。人が人に与えられるものは「愛」以外は「教育」なのかもしれません。社会、医学、文明の発達のためには一番必要なものなのかもしれません。

1975年にベトナム戦争が終わり、ようやくベトナムに平和が訪れたのですが、その後遺症は今なお続いています。agent orangeという、 ベトナム戦争で化学兵器として使われた枯葉剤のために、今でも障害のある子供が生まれて来ています。ここにも戦争の悲劇を感じます。なぜ人間は戦争を繰り返すのか? 戦争映画まで作って、それでもどうして人間には聞く耳、見る目、後悔する心がないのでしょう?

CuChin Tunnel(クチントンネル)はベトコンがアメリカ兵と戦うため、また逃げたり、隠れたりするために掘った長い地下トンネルです。私もその中に入りましたが、暗いし、狭いし、暑い。でも生き残るためにはこれほどまでにしなければいけなかったのですね。そしてこの中で、7人の赤ちゃんが生まれたそうです。見つからないようにと色々な工夫をしていたそうです。観光客が笑いながら写真を撮っていましたが、この光景を見て、命をかけて戦った人たちはどう思うでしょうか?
美しいハロン湾にも行きましたが、その広大な景色には息をのみました。洞窟もありましたが、それはいずれ世界遺産になるかもしれません。

食べ物は、フォーというお米で出来た麺で、もやしやレモングラス、鶏肉などを入れたものがありましたが、日本のラーメンかうどんのようで、大変美味しかったです。でも「フォー」というか「ファー」というか・・・発音は大変難しいです。
同じアジア人として、ベトナム、カンボジアなども、是非次の旅の計画の際に検討してみてください!



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posted by Yoko Narahashi at 15:35| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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